全てを経験しないと誰も信じないで生きていけない

 

こんにちは。

突然ですが皆さんは自分の周りの人間をどのくらい信頼していますか。

「この人に相談すれば大丈夫だ」

とか

「この人に任せれば全部安心だ」

と思う時はありますか。

僕は一切ありません。

この人はこう行動するだろうという行動への信頼はあっても人そのものや言葉に頼ることはありません。

結局自分が1番すごいじゃん

これにつきます。

しん‐らい【信頼】

 [名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「信頼できる人物」「両親の信頼にこたえる」「医学を信頼する」

信じて頼りにすること。頼りになるとしんじること。

ってすんごい他人任せな感じで違和感がします。

みんな自分の事そんなに他人に任せられるの?

信頼ってできる限りしたくない。

 

「若いね」とか「尖ってるね」って言うやつら

人を信頼したくないというとだいたい年長者はこう言います。

「時間が解決してくれるよ」とか「大人になればわかるよ」っていうのもよく言われますね。

関係ないけど年長者が若者を語るときのドヤ顔って凄い不快ですよね。

自分も昔経験したってだけでマウントとられるの吐き気がします。

 

人を信頼して起こる出来事に対して他人ごとになってしまうのが嫌です。

自分に起こるすべては自分に責任があると思えるのが理想だなと思います。

 

誰も信じたくないから色々やってみることにした

結論として誰の言葉も信じないで生きていくことが幸せの究極系です。

何かが下らないとか何かが面白いとか自分で決めます。

ヒッチハイクもサークル立ち上げもブログも皆に否定されたり肯定されたりしました。

新しい行動、少し目立つ行動をすれば決まって誰かは非難的なことを言ってきます。

最初はそれがとても嫌でした。

自分は間違った行動をしたのかと考えさせられたりしました。

でもあるときどんな行動でも自分の周りの誰か1人は非難してくるものだと理解しました。

それから非難の言葉を受ける程身軽になっていく自分に気づかされました。

非難の言葉は自分が誰も知らない世界に進もうとしている証なのだと感じるようになりました。

 

 

誰にも非難されない決断ばかりをする大人にならないように生きていきたいなあ