自己嫌悪は価値観の狭さを露呈しているよ

自分の見た目に自信がないんですっていう人は実は結構この世にいっぱいいるみたいです。そういう人達のコンプレックス意識っていうのは結構根強くて「かわいいよ!」とか「カッコいいよ!」とか言っても驚くほど響かない。最初は自分の伝え方が悪いのかと思って色んなアプローチをしてみたのだけどそういうことではなくそういう人たちの自信のなさっていうのは結構根深いものみたいだ。いやまあわかるよ今思えば子供のころさ、学校っていう閉鎖空間でさ日々自分の垢抜けなさみたいなものを見せ続けられるのって異常だよね。大人になってからそんな経験すること絶対ないし。

 

子供のころの閉じた空間における「自分はダサい」という価値観から抜け出せずにいる

結局これに尽きるんですよね。ダサいとか美しいとかって少しも明確な基準があるものではないのにです。「私目が離れててブスなんだよね~」みたいな。目が近いブスも目が離れている美人もこの世にはいっぱいいることなんてわかってるのに。

 

「どこどこの国では太った人がモテる!」みたいなテレビたまにやってるじゃないですか。

それで女芸人の人がある国の人には異常にモテるエピソードを言って一笑いみたいな。価値観が違うことは一般的には「可笑しい」ことなんですよね。でもさ俺らが持ってる常識なんて200個以上ある国の1つで大して外にも出ずにぬくぬく育って持った常識じゃん。痩せている人が美しいのも目が細いのが嫌なのも今の日本の常識でしかないんだよ。常識が何でできてるかってそこら辺の人の何となくの好みの集合体でしかないじゃん。そこら辺のおっさんとかの志向が入っているような常識に従うのなんてばかばかしすぎるでしょう。ましてや学生時代に言われたこととか考えた事とかそれ以上に狭い世界の話だよ。

 

 

見た目に限った話じゃないよね

見た目に限った話じゃないよ。それこそテレビで汚れ仕事をしてる女芸人さんだってそのモテる国に生まれ育っていたら超モテ女みたいな性格になってしまうかもしれないんですよ。逆に新垣結衣さんが太った人とか低身長の人がモテる国に生まれたとするじゃん。それで「私ブスだから…」ってモジモジしてたらちっちゃいことで悩んでないで俺と結婚しよ!ってなるじゃん。

 

結局のところ俺らの悩みの大体ってそんなもんですよ。周りの人にどう思われるかとか友達を失うかもとかもそういうものを大切にする教育を受けてきたっていう話でしかないじゃん。今自分が思っていることとか信じていることは1つも絶対的なものではないよ。いっぱいいっぱい色んな人の価値観に触れるのを恐れてはいけないよね。