文章力を上げたい
文章力を上げたい。
最近プレゼンテーションを作るのが上手になって来たのを実感することが増えてきた。
自分は一人で講演会を開くスーパー有名人では残念ながら無いため、自分がプレゼンをする会=ほかの人のプレゼンをいっぱい聞く会であり嫌がおうにも自分のプレゼンを他人と比較してしまう。
昔はそれが随分と嫌であったが最近はあまり気にならなくなった。シンプルにどこで話そうが自分がそこそこうまい方に入ることが増えただけなのだが。
そのためプレゼンを作るのは楽しい。一生懸命ストーリーを考えどうやったらストーリーがきれいに通るか考えうまくいったときのことをついつい妄想してしまう。子供のころみたいで我ながら気持ち悪いがしゃーない。
一方で作文だとそうもいかない。
もう2行も書けば不安になってくる。本当にこのストーリーで進んでいっていいのか。書いてるうちに自分の言葉の定義も疑わしくなってくる。本当にこの言葉はこのような使われ方をしているのだろうかとか。そんなふらふらの一本橋を歩いていくと案の定どこかでこける。一度こけてしまったらその文章はおしまいだ。一本橋の横みたいなところをファファ―っと走り抜けるだけのようなふわっふわな文章が出来上がる。ちなみに英語だからとか日本語だからとかそういう話ではない。
どうやったら向上できるのだろうか。それともみんな長文を書く機会なんてそんなにないからあきらめているのだろうか。自分は口下手な方だがそれも関係しているのだろうか。
この文章もふわっふわだ。逆にふわっふわな文章が適している場面もあるのだろうか。まじめな文章には間違いなく適していないが。いったいどこでそういったことを学べるのか。学びたい。「論理的な文章のためのロジカルシンキング」とかありそう。本屋で平台においてそう。このままではまんまと買ってしまう。自分で題名が思いついてしまうような本は買いたくない。
言葉にすれば陳腐でありふれた話
引きこもりの兄が精神を病んで入院した。
完全な引きこもり歴で言えば2年行かないくらいであったと思う。
大学を中退する前からあまり外には出ていない印象だったけど。
もともとろくに話さない兄弟であったがここ数年は特にそうであった。
口を聞けば色んなことを聞いたり責めたくなったりしてしまいそうだったからだと今は思う。
病気になった兄を心配する気持ちは実はそんなにない。どうしてなのだろう兄に心配された経験も心配した経験も妙に少ない気がするから兄に対して心をうまくすり減らせない。なんだかんだ家庭環境による所があるのだとは思う。
心配じゃないから助けないという話ではない。もしこのまま働けなくなったら養うのは俺と1番上の兄貴(3人兄弟なのだ)だと思ってるしそれは別に良い。
一般的な感覚と違わなく、子供のころの兄貴は俺にとってヒーロー的だった。スーファミでもプレステでも連打してほしい時は兄貴に頼んだし件の兄貴は俺が小1の時小6で一緒に学校に通った。今思えばうざい時もあったろうに彼は友達と一緒にかわいがってくれた。うざがってるのを感じさせなかった彼はずいぶんと大人であったのだと思う。
そんな彼を養う時が来ると考えたら少し面白くもある。認知症の祖母を見ていてそんな考えができるようになった。ヒーローであった者のあられのない姿が見られるのだ。
母は最近イライラしている。昔からストレスがたまると家族に強く当たったりする人だった。誰かが怒っているところを見るとびくびくしてしまう性格なのでとても嫌な気持ちになる。なるべく母と会わないようにしている。
結局の所1番自分が悩んでいるのは自分に将来健全な家庭を築く事ができるかという事なのだと思う。もう20も過ぎたのだからストレスを抱えた家庭を自分が支えるくらいの気概を見せるべきだと思うのに実際には家族から逃げてばかりいる。22年間一緒にいる人間すら支えられない人間がどうして自分の嫁と子供を支えられるようになるのか。今の彼女を将来も幸せにしてあげたいと思っているのだが。
結局兄の一大事にこうやって自分の事ばかり考えている。この年になってまだいろいろなことを家族のせいにしている自分を見つけてしまってすごく不快だ。家族とよく向き合わずにこの年になってしまったし、その結果の1つが兄貴の事なのだろう。
まずは兄貴と面会に行ってみようと思う、前はまだ面会は無理だったが今は大丈夫だろうか。家族と行くのは気重なのでまずは一人で行こうかな。
兄貴と一緒に頑張るなんていうピカピカしたご都合主義な話じゃない。自分が強く生きるために必要な経験なのだ。
9/16
自分が何になりたいのか忘れてしまう夜もある。
そんな時大して楽しくもない誘いを飲んでしまったり、誰かにあたってしまったりすることもあるさ。
でもそれもしょうがない。所詮人は一人でしかいきれないのだ。
「人にされて嫌なことを人にしてはいけない」なんてのは考えてみれば随分メタい思考だ。
人類全体の幸福を考えれるほど君は満たされた人間じゃないし、みんなだいたいそうなのだ。
自分を傷つけるくらいなら他人を傷つけよう。ちなみに非暴力のガンディーは暴動が激しくなると断食でそれを防ごうとしたらしい。メンヘラじゃねえんだから、そりゃきついっすわ。
多少他人を傷つけてでもならなきゃいけない自分だってあるのだ。人を傷つけた罪悪感なんかでそれを忘れてはいけない。
9/11
大人になるにつれて消えていくコンプレックスもいっぱいある。
学生時代ってのは今思えば異常な村社会で俺と話したことがない人が俺の色んな個人情報をやたらと知ってるなんてことはざらにあった。どちらかと言えば冴えない学生だった自分ですらそう感じるのだから学校とはずいぶん生きづらい場所だったのだと思う。
そんな場所で自分を変えるのはずいぶんと億劫な事だと思う。人間の恒常性ってのはそこそこのもんでそれが集まった集団の恒常性ってのはかなりのもんだ。出る杭はみんなに叩かれる。それどころかちょっと普段と変わった行為をしようもんなら笑われる。
若い子は自意識過剰なんて言うが過剰なのは他への意識じゃないか。だって友達が髪切ったのとか学生のころみんなわかったでしょ?
そんな頃に植え付けられた自分の性格ってのは何だかんだ変え難い。こんなメタ的に学生時代を振り返ってるつもりでも実際はクラスでちょっと目立ったことをした後よく周りを見れなかった自分のままなのだ、かわいいもので。
大学生の将来への憂いなんていうものの半分くらいは、その消えない奴隷の焼き印をこすってるんじゃないかな。この焼き印をつけたまま上手く生きていけるのかな?って好きな人に好きって言ってもらえるのかな?って。
結論を言ってしまえば消えるんだと思うし別に消えなくてもいいんだと思う。消せば幸せになれるかって別に外の世界が素晴らseaとは限らないように別にどっちも苦しいのだ。でも消したいのは消したら自由があると思うからなのだ。
正義の反対が別の正義であるように何でもできる自由の反対は何もしなくていい自由であったりするのになあ。
浮気なんて絶対できない中学生だった。別に彼女いなかったけど。でも今夜はなんか寄りかかられたらそのまま無茶苦茶抱ける気がする。
詩人はみんなオナ禁していたとしか思えない。名文を書くのは社会的欲求だし社会的欲求なんて半分くらい性欲なのだ。
9/9
改めて自分が今取ってる授業について書いてみよう(午前中)
1.謎授業 Teacher Gem
グラマーに近い授業。でもめっちゃ作文とかさせられる。この人が俺の授業プログラムを統括するリーダー的位置づけらしいが未だに一番テンポが合わない感じがする。
今のところ授業内容は助動詞の使い分け。この授業の一番いいとこは作文の訂正が厳しいこと。えらい?先生だからか前置詞とかめっちゃ細かく訂正してくれる。
明日から何すんだろ。授業前に色々質問することで自分に不足してる内容をうまく授業にしよう。
2.Group Class Role-play
よく笑う太めのおばちゃん先生。授業内容は9行程度のスピーチを1週間ひたすらやりつづけた。明日はその発表会です。
内容うっすくね?と思ってたけど自然に英語をしゃべる練習ってのは初めてでなかなか貴重だと思い始めた。「英語が話せる人」を目指す。
あと「自信が無く見えるから顔に触るな」とかジェスチャーについて教えてくれるのも面白いよね。でも俺子供のころから手癖良くないからなぁ。
3.Speaking Teacher Jenilyn
めっちゃ恋バナするしめっちゃほめてくれる。ちょいかわ。
基本的な流れは何か質問(幸せに必要な事は何?とか)されて答えてそっから気が付いたら色々雑談してる。俺が解答した後さくっと分かりやすくまとめてくれる。そういうのをもうちょいメモるようにすれば有効活用できるのかな。
でもフィリピンの色んな話を聞けるから面白い。フィリピンの朝のラッシュアワーは6:30かららしいよ、早!
9/6
語学学校三日目
先生とはずいぶん仲良くなった。
恋バナしすぎな気はするけど。
なんやかんやで日々色々学んでる感じはある。
ただもうちょいインプットを増やさないと学習のバランスが悪い感じはする。
スピーキングの授業だべってばっかじゃんって思ってたけどだいぶそれっぽい意見を言うようになってきている。
幸せに必要なことって日本語でも答えづらいわ。
友達が少しはできそうで良かった。
でも少しでいいや、今日から勉強時間を増やすようにします。
9/5
語学学校2日目
3週間の滞在と思ってたけど学校で授業受けるのは14日と考えるともうちょい気合を入れなければ。
近所のご飯屋さんは二日目で顔を覚えてくれた。
意外と優しい。
目が疲れて体の疲れが取れない。
携帯を見る時間を減らすようにしよう。
寝る。